心が、どんどん壊されてゆく

現代人の心が壊されています。その現象や理由を探り提示しています。

2017-08-11-Fri-11-19

人間はどんな悪者にもなれる」脳科学者・中野信子が説く、“わかりやすさ”だけで判断する恐ろしさ 2/2


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2極化が進んでいくネット社会

友光 結局、ネット社会になりました。個人が情報を出せるようになりました。情報の総量が増えました。それによって世の中の寛容と不寛容、いいこと悪いこと、イエス、ノーの2極化ではなくて、間が増えるかなと思ったのですが。より極端と極端が増えることになっていき、間のところの中間層は極端なポリシーがないのでそれまで以上に言う必要もないし言わなくなりました。
強いポリシーがある人のほうが発言をするに決まっているので、情報量の増加によってグラデーションや幅が広がったということは起きず、2極化が進んでいるだけなのだなということは感じています。
それこそ仏教の役割としては、「極端になりましょう」とは言いません。真ん中の道、「中道」というのですが、いろんな偏りに寄らず真ん中らへんにいましょうという基本方針があります。
社会全体にもっとグラデーションができてくれればいいと思うのです。真ん中というもう1つの対立軸。第三が欲しいという意味ではなく。
「どうしても人がたくさんいると、どっちかの強い意見に行ってしまうね」という中で、「なんとなくどっちでもない真ん中らへんに心の軸足を置けたらいいよね」というのが仏教なのです。

中野 灰色でいてもいいじゃないかという。

友光 そうなんですよね。今、どうしてもイエスかノーか。良いことか悪いことかみたいになっていて、かなり2極化したところでの議論や判断が目につきます。話し合いにしても、右と左が話をして、間の人は眺めているだけというのもある。
それは昔からそうだと思いますが、相容れない者同士が立場で言葉を投げ合っているだけというシーンがかなり広がってきてしまったなと思っています。

中野 そうですね。1つにはSNSがあることで自分と同調する人とだけ付き合うことが可能になった、という事情があると思います。
地域が限定されていたり、移動が困難だと、どんなに嫌なやつでもなんとか話を合わせる必要が出てくる。例えば、職をなかなか移動できなかった時代には、どんなにクソみたいな上司でも言うことを聞かなきゃいけなかった。
しかし、SNSはそうではない。もうコンタクトを削除しちゃえば二度とその言説に合わせる必要はなくなるわけですね。
そうすると、実は多様性が高まっているようでいながら、非常に意見が均一になりやすいという状況が形成されつつある。
アイスバケツチャレンジというのがありましたね。

友光 ああ、ありましたね。

中野 覚えていますか? あれは賛否両論があって、非常に激しい論戦が繰り広げられましたね。
そんなとき、患者さん自身が「こんな運動をしてくれてありがとう」という主旨のツイートをしたのです。それを賛成派の人は何度もリツイートしたのですが、反対派の人は一度もリツートしない、という面白い現象が起きた。
これは、主張に合わないことは無視することができる、というのがネットのクラスターにおける言論空間の特徴だということを示唆する好例だと思います。そうなると、言い方は良くないですが、自分にとって都合の悪いことは真実でも無視できるということになりかねないので、対応のしようがない。
ネットは多様性や寛容性を高めるようでいて、実は逆方向に作用しているのではないかと思えてきます。
強い意見や極端な意見を持つことは「強さ」ではない

友光 これも極端な発想ですが、そのうえコミュニティに属すること自体がリスクになっていくと、本当に極端な人ばかりが世の中に増えていく方向性にいくのかなと思いますね。

中野 また極端でわかりやすいことを言う人ほどもてはやされる・もてはやしたいという性質が人間にあることを考えると、これからはそういう人が選ばれていくのだろうなという想像できますね。

友光  「もっとバシっと派手なコメントくださいよ、中野先生」というのはやはりあるのですか? 言われる時とかあります?

中野 間接的には(笑)。「At your own risk.」 というのですかね。仕方ないですね。そのほうがみんな喜ぶし。

友光 そうなんですよね。仏教や宗教はいいものだと思っている人がいたり、宗教はダメ、怖いものだと思っている人もいます。
僕はリテラシーゼロの状況からお坊さんになって見て思うのが、宗教や仏教は別に良い悪いのどっちでもないよということです。

そうはいっても、宗教なんて信じるか信じないか、個人の妄想の世界ですというつもりもぜんぜんありませんよ。でも一人ひとりの心持ちとしては、「こっちに行っちゃうときもあるよね」「でも、良い日もあるよね。悪い日もあるよね」という中で、その揺れていったり、人を許せたり許せなかったりということができない自分を受け入れていく。
極端な意見を持っている人も、逆のこと言う人も、ヒステリーを起こす人も、どんな人でも「まあ自分もそんなときがあるよね」といって多少でも自分と違う人を受け入れていくというのを、僕は仏教や修行から学びました。
強い意見や極端な意見を持つことは、別に強さじゃありません。そんなに意固地にならないでくださいというか、もっとグラデーションを持っていきてほしいなとか、人に対しても自分に対しても、極端にならないで生きていってもらいたいなとすごく思っています。

中野 そうですね。


後略)




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2017-07-07-Fri-16-54

そのほめ言葉が子供を傷つける!心を育てるほめ方とは?①

今1歳の娘の子育て中なのですが、最近できることが増えてきたのですが喜んで何度もやってくれる時と1回しかやってくれない時があります。その時々のこちらの反応や声かけによってやる気があがったり下がったりするのでは?と思い子供の意欲をあげるためにはどんな声かけがいいのかなと調べてヒントになりそうな記事を見つけました。
→リンク

*以下引用**********************************************************
最近「ほめる子育て」という考え方が浸透してきましたね。たくさんほめれば子供のやる気が育ち、親も幸せ気分で子育てができるという、とても素敵な考え方です。

でも「ほめる」ってやってみると意外に難しいもの。意味のないほめ言葉を連発してしまったり、悪い事をしても「ウチはほめる方針だから」と叱らないママもいるようです。「ほめる子育てが良い!」と鵜呑みにしていると、ただの「しつけ放棄」になってしまう事も。

そもそも現在育児をしている世代は「叱る子育て」で大人になった人も多いのではないでしょうか?自分がほめられて育っていないので、どうしても無理のあるほめ方になってしまうようです。

間違った「ほめ方」は間違ったメッセージを子供に植え付けてしまいます。子供の心を育ててやる気を引き出す「ほめ方」とはどのようなものでしょうか?

○ほめ言葉が引き出すプラスな気持ち
喜び・・・大好きなママやパパのほめ言葉は、何よりのごほうびです。
意欲・・・ほめられると嬉しくなり、もっと頑張ろうと思えます。
自信・・・子供自身「これでいいのかな?」と不安に思っているもの。ほめられると「自分にも出来るんだ!」と自信がもてます。

ほめられる事で「自分はこれでいいんだ」という「自己肯定感」を感じる事ができれば、安心して次の事にチャレンジする意欲がわいてくるのです。また「人の役に立てる喜び」は充実感や、ごほうびを必要としない健全なやる気につながります。

でもほめるポイントがずれていると子供を不安にさせ、やる気を奪ってしまう事も!

○ほめ言葉が子供を傷つけるって?
大人は子供の為にほめているつもりでも、それが子供の心を縛り付ける事はよくあります。具体的な例をあげていきましょう。

幼稚園での出来事です。A君はとても気がつく子で、他の子の面倒をみたり、掃除を率先してくれます。でもよく見ていると、先生がいない所ではやらないし、何かするたびに先生に「僕えらい?」と聞いてきます。先生も「これはちょっと違うな」と感じるようになってきました。

A君の親は教育熱心で、できるだけ「いい子ね、えらいね」と子供をほめるように心がけているようです。親はA君が言う事を聞くので「ほめる事でいい子になった!」と思っているようです。

この場合の問題は「自己肯定感=ほめ言葉」「行動の動機=ほめ言葉」になっている事です。「自己肯定感」が育っていないA君にとっては「えらいね!」というほめ言葉が「自分の価値をきめるもの」になってしまったようです。

「いい子ね。えらいね」といったほめ言葉はは「言う事を聞けば、好きでいてあげる」というメッセージを含んでいます。

A君は親の愛情を感じるために、一生懸命「いい子」であろうと努力しなければいけません。ほめる事が子供を縛り、コントロールする手段になる事は健全とはいえません。

このようにして大きくなった子は、ほめてもらえなくなると「ほめられない自分は価値のない人間だ」と感じてしまい、自分を見失います。

子供をほめて成長させるはずが、逆に自信のない不安定な心の持ち主にしてしまう事もあるのですね。学校や社会でつまずく原因にもなりますから、注意が必要です。

②につづく




秀凜 にほんブログ村 教育ブログへ
2017-07-07-Fri-16-51

そのほめ言葉が子供を傷つける!心を育てるほめ方とは?②

○やる気を奪うNGなほめ方とは
①「えらいね」「いい子ね」「上手ね」などのほめ言葉だけで、どう良かったのか具体的に伝わらない。
②「いい点とれたね!えらいね」のように結果だけをほめる。これでは「ほめる=評価する」になっています。
③ほめる人の表情が伴っていない。無表情でほめられても嬉しくないですよね。
④失敗しても適当にほめる。子供本人もうまく出来ていないのは分かっています。「上手ね~」と適当にほめても、しらけさせるだけです。
⑤「やれば出来る子なのに何でやらないの?もったいない!」などは、ほめているようで相手を否定している事になります。
これでは親がほめているつもりでも、子供にとっては気持ちが全く伝わっていませんね。ではどのようなほめ方が良いのでしょうか?

○ほめるという発想を捨ててみる
そもそも「ほめる」という発想は、ちょっと上から目線かもしれません。「ほめる」のではなく、子供がうまくできたら一緒に喜び、良い行動には感謝してあげて下さい。

(例)子供がお手伝いをしてくれたら
「ありがとう!その気持ちが嬉しいわ」「○○ちゃんのおかげでママ助かってるのよ」

(例)一生懸命に絵を書いたら
「素敵な絵だね!○○ちゃんらしい色でママ好きだよ」「こんな事もできるようになったんだね。ママ感動したわ」

大切なのは、相手が笑顔になるまで言う事!それには親がが満面の笑顔で、ちょっと大げさにほめる必要があります。無表情でボソッと「すごいね~」と言って、ほめているつもりになっていませんか?

人はほめるのが苦手な生き物!?
「人のあらさがしは得意なのに、良い所を見つけるのはちょっと苦手」という人は多いものです。でもそれは仕方のない事。人はもともと良い事よりも、悪い事に意識が向いてしまう生き物だからです。

人類の長い歴史のうちのほとんどが、常に生命の危険にされされている状態でした。親がのんびりしていては子供を猛獣にさらわれたり、子供が毒草を食べてしまう事になりかねません!

そのような環境で発達した「危険を察知する脳力」のせいで、悪い事にはとても敏感になり、良い事には鈍感なのです。

だからこそ余計に「子供の良い所を探そう!」と意識する必要があります!それはママにとっても「人の良い所を探す目」を養う事になり、周りの人たちと良い人間関係を作る訓練にもなります。

2歳頃からはじまる反抗期を過ぎると、どうしても叱る回数が増えてしまいますよね。時には叱る事も必要ですが、大切なのは「叱る」と「ほめる」のバランス。

できるだけ「ほめる回数」が「叱る回数」を上回るように意識し、親子ともにストレスの無い育児がしたいものですね!

*引用おわり********************************************************

まずは「ほめる」という意識を捨て、上手くいったりできるようになったりしたら一緒に喜ぶ!ということを意識していきたいと思います!




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2017-06-17-Sat-11-11

逆境の中で成長する。

「ストレスを悪いものと考えなければ、むしろストレスがある方が健康でいられる。ストレスとの正しい付き合い方とは?(米研究)リンク」より引用します。

わたしたちのほとんどは、ストレスは悪いものだと思っている。一週間、いや一日たりともストレスのない日などないだろう。確かに過度のストレスは高血圧、頭痛、不眠、胸の痛み、その他健康の問題を引き起こす原因となるものだ。

現代のわたしたちが、ストレスを感じないで過ごすことはとても難しい。おそらくあなたもストレスのせいで、疲れ果て、打ちのめされ、落ち込むことが多いだろう。

だが、ストレスは悪いことばかりではない。むしろストレスがあっても、その向き合い方を変えるだけで、死亡リスクすらも減少するという。

健康心理学者で、スタンフォード大の講師ケリー・マクゴニガルは、長年、ストレスの圧倒的な影響について研究を進めていくうちに、ストレスレベルだけが、健康の不調と関連しているのではないことがわかったという。

マクゴニガルは、著書『The Upside of Stress: Why Stress is Good for You, and How to Get Good At It』の中で、はっとさせられるような発見を説明している。

>確かに過度のストレスは死亡リスクの確率を43%も上げてしまう。しかし、このリスク増加率は、ストレスが自分の健康に害があると信じている人だけに当てはまる数字なのだ。
ストレスがきついと言っていても、それが害になるとは思っていない人はそう簡単には死ぬことはない。むしろストレスがほとんどないと申告した人よりも死亡率は低いくらいだったのだ<

わたしたちは、自分の人生からできるだけストレスを振り払い、取り除こうとして、ストレスのない生活を夢見ている。

しかし、マクゴニガルによれば、ストレスとのつきあい方で一番いい方法は、 『ストレスを減らそうとしたり、避けようとするのではなく、ストレスを "あるべきもの" と考え、むしろ前向きに取り込むことだ』 という。

ストレスの対処が不十分だったり、ストレスを避けるためひとり孤立していたり、ストレスを減らそうと躍起になっている人ほど、その害が大きいという。
つまりは発想の転換なのだ。

■ストレスの存在意義
過度なストレスがさまざまな不幸と関連しているのは、特に驚くことではない。しかし、ストレスは幸福とも関連があると聞いたら、驚くかもしれない。マクゴニガルはこれをストレスのパラドックス(逆説)と呼んでいる。『幸せな人生はストレスフリーなことではないし、ストレスフリーな人生が幸せを保証してくれるわけでもない』 その答えはストレスの意義の中にある。

>例えば、ギャラップの世論調査からは、18歳以下の子供を育てることは、日々相当なストレスを感じる一方で、毎日笑いに包まれるチャンスもかなり増すことがわかる。昨日はかなりストレスフルな一日だった企業家も、それでもとてもおもしろいことを学んだと言う傾向が強い。
ストレスは何か悪いことの表われというよりも、むしろ、ストレスを感じることは、どれほどあなたが個人的に意義のある行動や人間関係に関わっているかを示すバロメーターだと言えるだろう。<

これはよくわかる。最高に幸せな結婚生活を送っていても、いさかいのストレスがあったり、人生の大きな転換を経験することもある。理想的な職業に就いていても、プロジェクトやプレゼンにプレッシャーを感じたり、ストレスのたまるクライアントがいることもあるだろう。

ストレスを感じると、その意義をはっきりさせたくなる。人間は本来本能的な生き物で、自分の苦しみからなんらかの意味を引き出す能力がある。こうした本能は、生物学的ストレス反応の一部で、沈思黙考や宗教的なものへの問いかけ、自己分析のような形で現われる。

マクゴニガルは、『自分の人生の意義はなにか?』、考えてみることを勧めている。もっとも有意義なあなたの役割、人間関係、活動や目標などをあげてみて、自分が一番楽しめて、愛せて、笑顔になれる分野は、学べることなのか、目的意識がもてるのかを考えてみる。

もし、自分の役割や人間関係、活動や目標が意義はあっても、ストレスになるなら、どうしてそれが自分にとって重要なのか、書き出してみよう。もし、人生に意味を与えてくれるこうしたものがなくなったらどうなるか? どう感じるか? やはりそれを取り戻したいと思うか、わかるだろう。

~・中略・~

■ストレスは絶対悪ではないということを肝に銘じておこう
ストレスは悪いことばかりではない。もちろんいいことばかりでもないことも確かだが、ストレスとは複雑なものだ。『ストレスは害悪でしかない』という既成概念的な見方を変えると、もっと効果的にストレスに対応できるかもしれない。もっとバランスのとれたアプローチができ、もっと学び、成長し、意義のある暮らしができる助けになるかもしれない。

ストレスはいいことなのか、悪いことなのか、結論を出す前に、ストレスを何か、いいことに変える能力が自分にはあるかどうか、考えてみたほうがいいかもしれない。能力がないと思っても、ストレスはあなたにとって新たに取り組むべきものだし、きっとなんとかできるものなのだ。



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2017-05-17-Wed-12-58

スタンフォード大学 脳医学教授が体験! 人生が180度変わった「マインドフルネス」の魔法


リンクより引用します。

※※※以下、引用※※※

スタンフォード大学 脳医学教授が体験! 人生が180度変わった「マインドフルネス」の魔法

心を整える方法として話題のマインドフルネス。実際にどんな効果があるのか。少年時代にそのテクニックを教わってから人生が180度変わったという医師にインタビュー。

(中略)

<うまくできているかは気にしない! マインドフルネス瞑想のやり方>

▼呼吸に注意を向ける
ゆっくり呼吸し、鼻の穴周辺の空気の流れや、呼吸と連動する胸やお腹の動きに意識を注ぐ。

▼雑念がわき、呼吸から注意がそれる
外の雑音が気になったり、「うまくできているかな?」と考えたり、呼吸以外のことに注意が向く。

▼呼吸から注意がそれたことを意識
自分の状態を客観的に観察して、呼吸ではなく、別のことに意識が向かっていることに気づく。

▼呼吸に意識を戻し、集中する
雑念を脇に置いて、再び呼吸に集中する。「空気はおいしいんだな」など、呼吸を楽しむ感覚で。

(中略)

【荻野】教授は12歳のころ、偶然入ったマジックショップでルースという女性と出会い「マインドフルネス」のメソッドを教わるわけですが、当時は、それがマインドフルネスだとは知らなかったのですよね? でも、練習していくうちに、その効果をどんなふうに実感したのでしょうか。

【ドゥティ教授】ルースに出会う前の私は、怒りに満ちていて、絶望的で、孤独を感じていましたが、ルースと時間を過ごした後は、そういった気持ちが一切なくなりました。彼女が教えてくれた、筋肉をリラックスさせ、呼吸に集中し、頭の中の嫌なことを追い出す訓練は、私をポジティブで前向きにしてくれました。しかし、置かれた環境が変わったわけではありません。

【荻野】父親のアルコール依存症や母親のうつ病、貧困の中での生活は、変わらなかった。

【ドゥティ教授】はい。私はずっと両親や自分たちの生活に対して、怒りの感情を持っていた。酔っ払って何週間も家に帰らない父親、そんな父親を怒鳴る母親、お金がない生活……。でも、マインドフルネスを始めてからは、それはただの「状況」であることがわかったのです。両親の苦しみは両親の混乱や怒りで、私のせいではない。そうして怒りの感情を手放し、その分「思いやり」や「愛」を受け入れたときに、自分が変わったのを感じました。私に対する周りの反応も変わりました。

【荻野】ルースさんが教授に教えた「体を緩める」「頭の中の声を止める」「心を開く」という3つのマジックを実践された結果ですね。そして、第4のマジックである「なりたい自分を描く」ことで、医者になる。金銭的にも、社会的にも成功しました。

(中略)

【ドゥティ教授】少年だった私は、ルースの言葉を完全に理解していなかった。理解していたら、あんなに傲慢に多くを求めなかったはずです。リーマンショックで全財産を失った後、彼女が言っていたことと過去の出来事を照らし合わせながら、システマチックに自分の人生を振り返りました。そして、私に抜け落ちていたことは、「心を開く」ということだと気づいたのです。

【荻野】マインドフルネスで言えば、他者への共感を高める。大切な人にも、嫌いな人にも同じように無条件の愛を送るということ。

【ドゥティ教授】ええ。私は財産は失いましたが、そのかわりに、大事なものを受け取ったんです。それは「人生の意味」です。他人に奉仕し、思いやりを持って接することこそが大事なことだと、ようやく気づきました。

【荻野】それから教授は、医師として、医療が行き届いていない地域の人々を助ける活動をされるわけですね。その時期が、人生の再スタートだったと言えるでしょうか。マインドフルネスが、人生の方向性を変えたと。

【ドゥティ教授】そうですね。ルースの教えを振り返らなかったら、あのとき立ち直れなかったし、いまの私はないでしょう。しかし、気をつけなければいけないのは、マインドフルネスだけで、すべてのことが解決するわけではないということ。そして、他者への思いやりだけではなく「セルフコンパッション」を忘れないことです。

【荻野】自分に対して優しくする、ということですか?

【ドゥティ教授】はい。自分に対して否定的でネガティブな感情が起こっていたら、その部分に優しく接する。マインドフルネスは、自分の思考に対して批判や判断をしない状態ですが、さらに、自分の感情や考えに思いやりを持つ。これができれば、他者に対しても同じように接することができます。

【荻野】教授は現在、マインドフルネスや思いやりについて研究されているそうですね。

【ドゥティ教授】思いやりを持つ、つまり、人の苦しみに気づく、なんとか助けてあげたいと願うことは、人類の進化に不可欠なことでした。私はスタンフォード大学に戻ってから、ルースの教えの何が私の脳や心に強く影響したのか、科学的に証明することに没頭しました。マインドフルで思いやりを持っている状態は、副交感神経が働いている状態です。副交感神経が活性化されているときに人の脳は最も創造性や生産性が高い状態になります。そして、受容的で、恐れがない状態になっています。一方、(現代社会に蔓延している)恐れは交感神経を刺激します。そうすると、自分を守るために自分を閉ざし、人との関係も閉ざしてしまいます。思いやりを示し、本当の自分を表現することができなくなる。このような状況では、人を信頼することができなくなり、人とつながりにくい。愛することもできなくなります。

【荻野】だからこそ、マインドフルネスで本来の自分を取り戻し、恐れをなくす訓練は有効なのですね。

【ドゥティ教授】思いやりを持っている状態は、血圧が下がって、健康状態もよくなる。よく大学の講義でも言うのですが、マインドフルネスはお金がかからず、副作用もない最高の薬です。

※※※引用、以上※※※



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